三菱 B5M1 九七式2号艦上攻撃機

昭和10年、十試艦上攻撃機の開発要求を受けた中島と三菱はともに要求仕様に基づく試作機を完成させた。中島は引込脚やインテグラルタンクなどの新技術を取り入れ、速度や航続性能が優れていたのに対し、三菱は固定脚のオーソドックスな基本設計で操縦の容易さや高い整備性を示し、審査は伯仲。結局新機軸による将来性を買われた中島案が採用されたが、三菱案も捨てがたく補助として生産することになり、九七式2号艦上攻撃機として採用され、150機生産されることとなった。

見るからに素直なラインの機体で、基本性能の高さから中島案と甲乙付けがたかった事が感じられます。中島案が無かったら真珠湾での華々しいデビューから終戦まで、きっと大活躍していたことでしょう。飛行機も登場するタイミングで運命が大きく変わってしまいます。
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